日本の畑の悲劇➁

健康茶研究コラム

沈黙の春;

農薬への危険性を暴露したものとして最も有名な話があります。1962年に出版されたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』です。アメリカでの発行部数は150万部を超え、世界20数カ国で訳されました。

春が来ると、緑の野原のかなたに、白い花のかすみがたなびき、秋になれば、カシやカエデやカバが燃えるような紅葉のあやを織りなし、松の緑に映えて目に痛い。

丘の森からキツネの吠え声が聞こえ、シカが野原のもやの中を見えかくれつ音もなく駆け抜けた。

むかしむかし、はじめて人間がここに分け入って家を建て、井戸を掘り、家畜小屋を建てた、そのときから、自然はこうして姿を見せてきたのだ。

ところが、あるときどういう呪いをうけたのか、暗い影があたりにしのびよった。今まで見たことも聞いたこともないことが起こりだした。

若鳥はわけのわからぬ病気にかかり、牛も羊も病気になって死んだ。どこへ行っても、死の影。農夫たちは、どこのだれが病気になったという話でもちきり。

町の医者は、見たこともない病気が後から後へと出てくるのに、戸惑うばかりだった。そのうち、突然死ぬ人も出てきた。(中略)

自然は沈黙した。

薄気味悪い。

鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。

みんな不思議に思い、不吉な予感に怯えた。(中略)春が来たが、沈黙の春だった。

いつもだったら、コマツグミ、ネコマネドリ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。(中略)
だが、今は物音ひとつしない。野原、森、沼地・・・みな黙りこくっている。(中略)
ここを訪れる生き物の姿もなく、沈黙が支配するだけ。小川からも、生命という生命の火は消えた。(中略)

病める世界・・・新しい命の誕生を告げる声ももはや聞かれない。でも、魔法にかけられたのでも、敵におそわれたわけでもない。すべては、人間がみずからまねいた禍だった。

今から50年以上前です。そんな衝撃的な書き出しの本が世界の農業を変えるきっかけとなりました。農薬や慣行農業への見直しが世界的なムーブメントとなり、日本でも農薬の安全性についての厳しい検査、そして有機農業の有用性が議論されましたが、当時の日本は高度成長の真っただ中だったため、生産と流通の効率化が優先されました。現在の中国など新興国と同じです。自然(地球)環境よりも自国の経済成長を優先するのが人間です。人間はみずから禍を招いてしまうのです。

農薬は必要悪。

日本では有機農業や無農薬農業は普及していません。一方、EU諸国やオセアニア(オーストラリアやニュージーランド)それと中南米(アルゼンチンなど)では、それぞれの国の事情は違えど、有機農業や無農薬農業が急速に普及しています。先進国おいて日本は有機農業普及率が最低です。農薬大国のイメージがあるアメリカや中国よりも普及していません。また、ネオニコチノイド系農薬はEU諸国で規制が強いのに対して、日本の規制は逆に規制を緩和しています。ミツバチが消えるなど地球規模で問題になっている農薬です。ちなみにこの農薬は日本の企業が開発し商品化されたものが沢山有るそうです。何故なのか?何の為なのか?誰の為なのか? 疑問に思い調べてみると、日本の自然環境にあることがわかりました。日本は温暖多雨のため、雑草・害虫・病原体の活動が盛んになるので、安価な化学肥料や強力な農薬に頼らざるを得ないというのが実情なのです。確かに、米や野菜、果物が育つ季節の(春~夏)の気温と降水量をEU諸国やオセアニアと比較してみれば納得がいきます。そんな環境下で無農薬で栽培することがどれだけ大変なことなのかは経験しなければわからないことかもしれません。雑草は栽培物より強く、虫は雑草ではなく栽培物を選んで食べつくします。雑草や虫の駆除を手作業でやるのは重労働で収穫量も限られます。そんな環境下でも有機肥料または無肥料にこだわり、且つ、無農薬で栽培をしている人たちもいますが、苦労をして無農薬や有機栽培にこだわって作っても、今の日本の市場(流通)ルートにおいては割に合いません。苦労してこだわってこだわって作っても、安価な肥料と農薬で姿形良くつくられたもののほうが売りやすい(買ってもらえる)し、しかも大量に作れてしまう(儲かる)のです。悲しい話ですが、一部の不勉強で怠慢な農業者や、消費者や企業(メーカーや小売事業者)の無理な要求により、農薬や肥料が過剰に用いられ栽培される農業が標準の日本において、有機農業や無農薬農業が普及するには相当時間がかかりそうです。

日本の有機認証の実態

そんな日本でも有機栽培や無農薬栽培に対して生産者そして消費者の関心は徐々に高まってきています。行政においては、有機JAS規格という法令があります。有機食品のJAS規格に適合した生産者(事業者)のみが有機JASマークを貼ることが出来きるというものですが、日本の有機認証は抜け道だらけだと言われています。これから時代、農業自由化や国際基準=欧米基準による市場原理が導入されると、当然有機認証された農産物であるかどうかが問われることになります。種子から堆肥、栽培管理、ポストハーベストまで完全な有機であることが条件の諸外国との交渉において、日本の有機JASマークは世界では有機農産物と認めてもらえないのが現状です。日本の有機JAS規格は「種子」に至っては市販の化学処理された種子でも良しとされています。また堆肥においても、合成飼料や薬品を投与された家畜の糞尿の使用を禁止した欧米各国に対し、日本の規格では堆肥や飼料まで言及していません。それでも、そんなお墨付きがあるものだけが「有機」「オーガニック」と表示でき、そんな規格に反発しながら、真摯に有機農業や無農薬農業に取り組む生産者たちが作ったもには「有機」「オーガニック」表示ができないよう取り締まるのが日本です。人と自然が健康であることを目的にオーガニックが当たり前になることを目指す欧米各国に比べて、日本だけが特殊な事情であることが分ります。

何故オーガニックなのか?

味(美味しいか・不味いか)は個人の嗜好もあり、その基準は数値で示しにくいわけですが、一般的には、有機栽培または無農薬栽培されたものは美味しいと言われます。また、安全の基準は様々で、例えば、残留農薬が人体に影響するか否かと問われれば、今使用が許可され使用規定を守り使われてる農薬であれば、人体に悪影響は無いと言われています。無論数十年後そして次の世代において何が起こるかは測り知ることはできません。そういう意味で今、安全基準を満たしているからと言って「安心」とは思えません。量、生産量で言えば、農薬や肥料を使うほうが確実だし、野生種よりも品種改良された種のほうが良く育ち沢山収穫できると同じ理屈で、遺伝子操作された種子やF1種のほうが優れています。効率化は悪ではありませんが、今は量と質の両方を求める(求められる)時代です。できるだけ農薬を使わず、肥料そして種子にもこだわった農業が望まれるし、それを目指すべきなのは明解ですが、日本で有機農業や無農薬農業が普及させる為には、日本特有の環境に適した農業技術や農薬自体の進歩、そして何より行政をはじめ農業者や消費者の意識改革が必要です。(つづく)