「雑草」は本当に不要?:失われゆく薬草と、私たちの選択

薬草、野草が手に入らなくなってきた。周りのお茶メーカーや問屋さんに聞いても、その変化は顕著だ。今までの倍の値段でも、去年の半分しか仕入れられないなんてことも珍しくない。そこらへんに生えているドクダミも、よもぎも、スギナも、どれもこれも手に入りにくくなっている。野草のみならず、漢方で使う生薬も国策として確保・国産化に動いているという。それほどまでに、状況は逼迫している。

原因は、複合的だ。農家の高齢化、後継者不足。そして、近年顕著な酷暑の影響。ある中国地方のドクダミ農家さんはゲリラ豪雨でダメージを受けた。またやり直せば果樹等より比較的容易にもとに戻せるのだが、高齢ということもありもう精根尽きた、と生産を止めてしまわれた。こんな話がそこら中にあるのが、野草・薬草の現状だ。
今までお米や野菜を育てる傍らで野草採取をしてくださっていた農家さんも、野菜栽培だけで気力が尽き、野草採取まで力が回らなくなっている。あの農家さんも、この農家さんも高齢者だ。
そんな状況のなかさらに自然のサイクルが狂い、植物たちの生育にも大きな影響が出ている。

それでも、私は野草にフォーカスを当てていきたい。なぜなら、彼らは有用な植物なのに、人間の都合によって排除されるばかりだからだ。道端に、畑の隅に、ひっそりと生える彼ら。しかし、その力は、人間の力をやすやすと超え、私たちの心身を癒してくれる。

彼らは、自然の叡智の結晶だ。厳しい環境の中で、生き抜くために、自らを変化させ、力を蓄えてきた。踏まれても、切られても、雪の下でも猛暑のなかでも生え抜くその力は、人間が長年かけて培ってきた知恵を軽く凌駕している。

しかし、彼らはしばしば「雑草」という名で呼ばれ、人間の生活圏から排除されてしまう。有用な植物なのに、その価値が正当に評価されることは少ない。

だからこそ、私は彼らに光を当てたい。彼らの力を、人々に伝えたい。彼らが、私たちの生活を豊かにしてくれる存在であることを、知ってほしい。

彼らは、ただそこに生えているだけではない。彼らは、私たちに語りかけている。自然との共生、生命の尊さ、そして、どんな状況でも生き抜く力。彼らの声に耳を澄ませば、きっと、新しい発見があるはずだ。

こんなこと言うの自分の首を締めるようだが、市場での野草はもっともっと高くなってもいいのかもしれない。正当に農家さんが喜ぶ価格にまでなれば、栽培しようという方も増えてくるはず。そのためにも、美味しい野草茶を開発し、どんどん広げ多く買っていただき、需要が供給を大きく超える環境を作り、高い市場価格で買っていきつつ、安く安定的に供給できるようにしていく。

こんな野草のサイクルを、どうにか作っていけたらなと考えている。

布袋農園 稲葉浩太
我が家の猫 ムーン