最近、ふと自分の周りを見渡すと、妻のおかげで暮らしの空間は整然としていることに気づきました。無印良品でそろえた家具は直線的なものが多く、置いてある小物は円形のものが目立ちます。秩序立っている、と言えばそうなのですが、どこか、ほんの少しだけ、心に引っかかるような感覚がありました。
そんな時、庭の片隅に積まれた薪の山が、ふと目に飛び込んできたのです。大小様々な太さの木々が、まるで気の向くままに、でもどこか調和を保ちながら積み重ねられている。いびつな形、不規則な配置。それなのに、その不揃いな様子に、なぜか心が安らぐのです。直線と円で構成された世界とは違う、自然のままの姿。そこに、計算された美しさとは異なる、力強い生命の息吹を感じるのかもしれません。

木漏れ日の下を歩くのは気持ちいいですよね。葉の間から漏れる光は、まるで規則性のない子どものダンスのように、絶えず形を変えていきます。予測のつかない、でもどこか心地よいゆらぎ。まるで小川のせせらぎや、風にそよぐ木々の葉の音のような心地いいゆらぎ。これを1/fゆらぎと言うようです。
その変化を見ていると、心が静かに落ち着いていくのを感じます。完璧ではない、不完全なものの中にこそ、安らぎや美しさ、そして自然のリズムが宿っているのかもしれません。
先日、よもぎ茶を煮出していたのですが、つい時間を忘れてしまいました。いつもより濃く、少し苦味の強いお茶を一口飲んでみると、不思議と心が静まりました。お茶の味に、絶対的な正解なんてないのかもしれません。その日の気分や、その時の状況、あるいは偶然によって、味わいは変化していく。その変化を受け入れること、変化そのものを楽しむこと。それこそが、今の自分にとって、大切なことなのかもしれない、と、ふと思ったのです。
完璧を追い求めすぎると、心が疲れてしまうことがあります。時には、多少の不均衡や、予期せぬ出来事も、受け入れてみることが大切なのかもしれません。濃くなったよもぎ茶を飲みながら、そんなことを考えていました。濃く煮出されたエキスたっぷりの液体が、じんわりと身体に染み渡っていく。その苦みの中に、どこか懐かしい、土のような、大地の記憶のような香りがしました。整いすぎた日々に、ほんの少しの、自然なゆらぎを加えることで、日常はもっと奥行きのある、豊かなものになるのかもしれません。自然のままの形、1/fゆらぎのような予測不可能な変化、そして、些細な失敗も優しく受け入れる寛容さ。それらを受け入れることで、私たちはもっと自由に、そして心穏やかに、自然のリズムと調和して過ごせるのかもしれません。
布袋農園 稲葉浩太
我が家の猫(ベル)